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vgd_v01:腐ったweb

//晩期資本主義社会の表現と消費
ゴミのようなWebサイトとは どのようなものだろうか。 全体的に画面が薄暗くまた常に明滅を繰り返して目障りであるようなものだろうか。 自動的にサウンドを再生し閲覧者の聴覚を強制的に占有する耳障りなものだろうか。 そうした不快感をあなたに与える事に無自覚か あるいはそれを厭わない姿勢… つまりは挑発的な態度を取る潜在的敵対性を有するものだろうか

数少ない訪問者の内の大多数は既にオールドスクールな画面の異常点滅を目にして即座にブラウザバックした事だろう。 それでもあえてここに滞在し、この長ったらしい文章を読み進めようとするなら端的に言ってあなたは異常者である。 これは異常者に向けて書かれた感謝と皮肉である。 僕は読む必要のないものを書き、書く必要のないものを今あなたは読んでいる。

第一義としてこのページは訪問者の神経を逆撫でして苛立たせる事を目的として意図的に作られている。 暗くチカチカチャカチャカ、喧しくて眩しくて下らなくて、悪意と傲慢に満ちた奉仕が自己顕示欲に突き動かされる形で行われていた… そうした昔の個人ホームページの歪さに思いを馳せる懐古趣味的な感情や、そのスタイルを審美学的に捉える機微もまた動機として少なからずあるが、 直接的な感覚刺激によって拒否反応を引き出す旧来的なWebの悪徳の露骨さと、優れた技術者と才能溢れるデザイナーによって実装された 高機能かつ洗練されたルックスを伴う現代的な隠匿されたWebの悪意を対比して示すものである。

この極めて静的なページ構造は今日的な相互性を完全に拒絶している。 Twitter(X)やFacebookといった動的な構造のサービスであれば、いいねボタンを押すとか、シェアするとか、「画面をチカチカさせるのを止めろ!」と 即座にメッセージを送信し抗議する事もできるだろうが、残念ながらそうした今日では「当たり前の事」がここでは出来ない。

当たり前に普段している事が出来ないのは不便で物足りなく感じるだろうか? だとすればあなたは、いささか悲観主義的なきらいがあると言わざるを得ない。 常に人生の光当たる部分に目を向けようとすれば、ここには部外者の表現や介入が存在しない。 つまり投稿にツリー形式で連なったクソリプであるとかスパムの類が表示される事はなく、 殆ど全ての表示物が著者である僕の制御下に置かれている。これは稀有な事である。

更新ボタンを押してもここでは あなたの想像力を刺激し感情を掻き乱す煽情的なニュースもそれに反応する市井の人々を目にする事もない。 延々と人間同士が争う事で発する口汚い罵りの言葉や差別感情の発露に影響を受けることもないし、 かわいい動物の動画もポルノもスマホゲームの下手くそなプレイングを装った広告も、 漫画も美容整形もダイエットもFXも英会話も脱毛も過払い金の請求も完全食も転職も出会いもない。 ここは過密化された暴力的なフィードのノイズから隔絶された空間であるといえよう。

まぁ常に画面が点滅して音が流れ、ANIMEスタイルな幽霊の絵がこちらを監視して見つめてくる極めて不快なWeb(ページ)でもあるが。 しかしどうだろう、例えば多くの商業メディアは自分たちのページにGoogleなどアドテク企業の動的なターゲティング広告を掲載している。

ターゲティング広告とは端的に言えばリアルタイムなオークションである。直前に「離婚 慰謝料相場」「Youtuber 本名」と検索した30代の男性が ページを訪問すると瞬時に情報が広告出稿者に提供され入札合戦が始まる。今回「彼」を落札したのは薄毛治療薬と生命保険と漫画レンタルサイトであったので、 記事の途中にそれらが本文の文脈と無関係に挿入された。こうした「あなた」を巡る不快な商取引がページをロードする瞬きの間に行われているのである。

今日的なWeb(サービス)は高速な背景ドットの切り替えで画面を点滅させユーザーの眼球を酷使させるような真似こそしないが、 目に見えないところでは利用者の動向を逐一監視/記録し、また収集した情報をクライアントにミリ秒単位でリアルタイムに売り渡している。 ページを訪れる度に変わるセクシーなアニメ美少女の広告はお礼やご褒美ではなく、個人情報を売却した証としてそこに存在する。

一方で現在vgdをホスティングしているNeocitiesには(ターゲティング)広告がない。 それは忌々しい営利的スパイ行為が標準的に行われていない事を意味する。 当たり前の事のように思えるかもしれないが、現代的なwebの常識ではこれは極めて異例な事態である。 このページを閲覧する為にユーザー登録や専用アプリのインストールは必要ないし、勧めてもこない。 なぜなら閲覧者の個人情報を収集し売却するwebのスタンダードなイコシステムの上に成り立っていないからである。

標準化された主流なwebの世界ではしばしば監視と広告の経済システムが必要不可欠であると考えられる。 例えばYoutubeはユーザーへ強制的に電動セックストイの広告を表示し、それが見たくないなら金を払えと迫る。 アドテクは収集した利用者の情報を濫用し広告オークションを開催するだけでなくクライアントに売りつけた広告枠を 利用者には罰として与え、それを回避するための負の報酬に転用、Youtubeプレミアムという名で商品化している。

こうした資本主義的な論理(利益追求)から時にプラットフォームはユーザーに対し意図的に嫌がらせを行う。 企業は純粋に相手を不快にしたくて嫌がらせをしているのではなく、嫌がらせを通じて金銭的な利益を得るのが目的なのである。 反対にこのページの目的は、既に述べた通り訪問者の神経を逆撫でして苛立たせる事である。 負の感情を呼び起こす事で間接的に「消費」を促すのではなく、それ自体が純粋な形で目的化されている。

あなたの気分を害するために露骨な形で嫌がらせをする相手と、 経済的な利益の為に飴と鞭を使い分け、巧妙に手口を隠蔽しつつあなたを食い物にする相手ならどちらを選ぶべきだろうか? 答えは単純明快である。これは二者択一ではなく どちらも等しくゴミであり いずれも抵抗/拒絶すべき対象であるのだ。

例えば広告ブロッカーでアドテクの情報追跡を遮断し態度を行動で示す事は「直接行動」の第一歩となるだろう。 企業と敵対的な関係になる事を恐れる必要はない、そもそもはじめに不義理を働いたのは向こうなのである。

また組織や企業といった「構造」が相手であっても相互的な受容と拒絶の関係は0と1の二極的なスイッチではない。 性急な全体ボイコットを行わずに、該当部分だけを拒否し行動的意見表明を行う…ただそれだけである。 思春期の少女が父親の洗濯物と自分の洗濯物を分けて洗うよう求めるのとなんら変わらない。

一般的な家庭は児童の自我が発達する過程で生じるこのような諸問題を相互的なやり取りを通じ、 互いの妥協点を探していく。時にプロトコルを変更しつつもそれは円滑な家族関係(共同社会)の継続を目的として行われる。 しかし不和家庭においては、こうした当たり前の範囲的な相互コミュニケーションが発生しない。 「そんなワガママを言うなら家から出ていけ」といった具合に極端な受容と拒絶の二者択一を迫って支配を行う。

当たり前の事だが「洗濯の手順を変更してもらいたい」という要望は「家を去るか否か」という問題ではない。 両者の間には無数の妥協的解決策があるにも関わらず、ある種の人たちにはそれが全く見えていない(恣意的に隠蔽している)のである。

ともすれば情報追跡と監視を止めろと声を上げ抵抗する事は果たして不当な行為だろうか? 親が反抗期の子供を躾けるように頬を引っ叩いて「出ていけ」と追い出すべきだろうか? では反対に親が子供のネットの閲覧履歴を常に監視し、 またそのデータを時に販売して利益を上げているとしたらどうだろうか? 僕は単にそれをチャイルドアビューザーと呼ぶだろう。

ところで多分、あなたの美点は忍耐強く規範意識が強いところだと見受けられる。また、やや盲目的に従順で意固地なところが短所といえるかもしれない。 この不快なwebに留まり続ける根性は見上げたものだが、反骨精神に欠くばかりにここへ到達してしまったのだろう。

そしてご覧の通りここには何もない、だからあなたは経済的な利益を僕に与える事なく、遅かれ早かれ最終的にはこのページを閉じるだけである。 画面が点滅しているのを見て「ありえない」と反射的に1秒でブラウザのタブを閉じた先達と同じく ただここを去っていくだけなのだ。

2023/09/05 /vgd/